よみがえってきた、思い出2つ。

今日は。
被災地地方、大雨だとか・・・・・。
余震に雨とは。
本当に胸が痛む毎日です。

このような災害があると、普段忘れているようなことを思い出したり、昔の人を思い出したりするものですね。


私は・・・、
『地震等によって建物被害を受けて、ライフラインが止まった。』
という経験をね、2回したことがあります。

私の年齢では、「一度も経験していない」と言うラッキーな人の方が、もしや少ない???
様々な地震の他に、噴火や水害など。
この50年にも、数えきれない災害がありましたからね~。



一回目はね、
小学生高学年の時でした。
電気ガス水道は、かなり長期間とまったし。
ご近所では、流血の大怪我をしていた方もいました。
数十名の死者が出た大地震でした。


40年近く前の、その時の記憶がよみがえってきましたわ~~~。


その時。
集合住宅に住んでいた私たち家族は。
建物が危険だということで、地震後、広場に付近の住民で集まっていました。
季節は暖かく、時刻もまだ明るい時間、天気も晴れていたのが幸いでした。

近所の母親たちは、半分パニックのようにもなりながら、広場で情報交換をしたり、助け合ったりしていたと思います。


・・・・・が、しかし。


私は当時小学生。
地震の恐怖が去ると。
その状況が楽しくなっちゃったのですね。
『しばらく学校は休み』という噂で、舞い上がってたのかもしれない。


私と、近所の子たちは。
誰かが持ち出したバドミントンで、遊び始めたのでした。
けが人も出ているようなシビアな状況の中。
暇を持て余した子供たちは、キャッキャと楽しく遊び始めたというワケ。
まだまだ余震もあって、家には入れない状況でした。


そんな私たちにかまう暇もなく、母親たちは、外に集まって、あーだこーだと、情報交換やうわさ話や相互援助活動。
一番困ってる人を、周囲が支えるような関係を築き上げてたと思います。




そこに・・・。
職場から血相を変えて、父が帰宅したのです。
もちろん、ケータイもない昭和の話。
全く連絡の取れないのが、当たり前でした。

父は。
家族の安否を心配しながら、徒歩で、やっとの思いで帰って来たわけでした。



そんな父が見たのは。
ウキャウキャ笑いながらバドミントンにはしゃぐ、娘たち・・・・。


・・・こんな時。
あにゃたが父親なら、どうするッ!?



私がその立場なら、
「おおう
無事じゃったんかぁぁ。
えがったよォ。
子供の笑顔は最高じゃけん。
癒されるわぁぁ。」
と思うはずよ!


でもね!

昭和の頑固オヤジは、違ってたねえ。


まずは。
叱られました


「この非常時に、お前たちは何を考えているのか。」
と。

その後、母がひどく叱られましてん。
「この非常時に、子供たちに、バドミントンをさせておくなど、オマエは何を考えているのか。
恥ずかしくないのか。」と・・・・・。

・・・・・・

いやだね~~~~。
我が父ながら。
心の狭い男だよォ。
八つ当たりじゃないか?


なんだかんだ言って、その後、必死に食糧調達したのは母だしさ。
休校となった中学校のプールに忍び込んで、プールの水を汲んできてトイレ用水にしたのは、私ら娘たちだしさ。
なすべきことがわかれば、頑張るんよ、小学生だって。
子どもなりに家族を支えたはずよ。

それよりも、まだパニック状態の最中。
何するべきかもわからない、空白の時間帯。
そんな大災害の中でも笑えたり、楽しんだりできちゃうのが、子どもの才能というものではッ!?
と、当時の自分たちを慰めたい気分だわ~~。



あれから約30年後。
今度は「母親」と言う立場で、大震災を経験しました。



似たようなことがあったわ~~~、そういえば。



この世の終わりかと思うような、激しい揺れの後。
たまたま、我が子の小学校にいた私は、先生たちが子供たちを校庭に避難誘導するお手伝いをしていました。
女の子たちの多くは、泣いていました。
次々と迎えに現れた母親たちも、多くは泣きながら走って迎えに来ていたのです。
寒くて暗い日でした。


そんな中でも、
ふざけて騒いでるのが、高学年男子のイチブ。
見ると、うちの次男も、キャッキャキャッキャと、笑っていました。
私を見つけた、次男の友人が。
「○○(次男)が、ルフィ―の真似して、地面を拳でたたいたら、揺れたんすよ~~。
この地震起こしたの、○○だぁぁ~~!(笑)」
等と言って、ワイワイ言ってる!!


私はね、その時、男児っていいな、ってホントに思った。


だってさ。
アマリニモ悲惨な揺れでしたから。
深刻になったって、ならなくたって、どうする力もなかったのです。
どうする力もないならば、冗談言って笑って過ごしたい気もする。

でも。
既に大人になって親になっていた私は。
そんな状況の中、笑うなんてことは、できなくなっていました。
イヤな予感で、背筋が寒いだけでした。



もちろん。
息子らには、
「静かにして、先生の指示を聞こうね」
とは言ったけど。
正直、先生方だって、どうしていいかは、すぐにはわからなかったのです。
誰もが、途方に暮れていた夕方でした。


次男が校庭で笑ってたその頃。
遠い海岸では、多くの人々が津波に苦しんでいたなんて、何日もの間、私たちは知らなかったのです。




直後のパニックの中では、悪ふざけして、ゲラゲラ笑ってた次男ですが。
その後、水汲みや、食糧調達。
様々な場面で、一生懸命働いてくれました。
反抗期の最中だったけど。
家族のために、一時封印。


そして、食べ物も水も燃料もない、寒い日々。
私の夫は、一度もイライラすることもなく、子供たちにもすごく優しかった。
そして、残り少ないガソリンの入ったバイクで、あちこちに顔を出してたわ。
震災を通して、そんな夫への感謝が深まった気がするわ~~~。

父が夫じゃなくて、マジで良かったよ
父みたいなんは、いやだ
叱られるなんて、大苦手よ。




そんな、
2つの思い出を、今回の地震でふいに思い出しました。
普段忘れてた、2つの思い出。





熊本の小学生たち。
不自由だろうけど、大変だろうけど。
それでも、楽しく遊んでいますように!!!と願うわ。


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コメント

フラッシュバック

 こぶりんぼさん、こんばんわ。我が家の姫様、寝返りをただ今、習得中です。今も、指しゃぶりをしつつ、アウアウ言ってます。で、次男がやや発熱中・・・・。次男が「おおよー」と「おはよう」と言うとしてたり、姫様はタオルを顔にかけては、死んだふりごっこしてたり・・・・何とまあ慌ただしい日々を送っていますさくらです。
 さてさて、今回の熊本の地震は、フラッシュバックしました。嫌でも、体は覚えていて・・・・地震速報を見るたびに、体が硬直し緊張するのが分かります。
私が覚えている限りでは・・・・東日本の時がそうだったでしょうか・・・。よく覚えているのは、年長だった長男が想像以上に頑張ってくれた事でした。何も言わずに、幼稚園にも行ってくれたし・・・・カセットコンロで急遽作ったラーメンも、喜んで食べてくれました。
 大変な状況の中で、長男が元気でちゃんと食事も出来て、大変だったけど助けられたのは確かです。
主人が、「男の子だから、どこかで守らなくちゃいけないって言う気持ちはあると思うよ」と言われたのを思い出します。
 子供達は子供なりに、その状況下で何とかしようとしているんですよねー。次男君だってそうだったはず。
 本当に、熊本の子達が、楽しく遊んでいますように・・・。

No title

震災の時に子どもたちの様子をちゃんとみていたこぶりんぼさんは やっぱりすごいわ~。

私は東北の震災の時、ひとりで近畿にいながらじりじりしていて、息子のことをほったらかして、どうしようどうしようと大げさに動揺していました。
(息子が何をしていたかあまり覚えていません)

神戸の地震の時は思い切り渦中にいたのですが、2日目に中心部から避難して電気が通っているところに戻ったので、ずっとそのことが心にトラウマとして残っています。(一番大変なところから、自分は何もせずに逃げた。。って)。

みんなそれぞれの過去と向き合いながら熊本地震を見つめているのでしょうね。

東北の震災ではいろいろな思いをなさったのですね。
東北の震災もまだついこの間のことなのに、今度は九州でこのような大災害が起こり、こちらでもいつ地震がおきるかわからない状況なので、ほんとに自分にできる精一杯の日々を過ごすことがなにより大切なんだと感じてます。 


Re: フラッシュバック

>  さくら様

こんにちは!!

そうでしたか~~。
震災は辛いですが、さくらさんにとっては、幼い息子さんが頑張る姿を見せてもらった経験でもあるのですね~~。

私も、震災を通して、息子だけでなく、夫との関係も良くなった気がします。
夫の良さを再確認し、本当にお世話にもなりました。
夫婦だから、「お世話になってる」っていう感覚が持ちにくいんだけど、震災の時は実感したわ~~。
なので、その時の感謝を、私は忘れちゃいけないなと、今回も改めて感じています。

震災では、様々な立場の人が、それぞれに苦しんで、そして努力をしているんだろうね。
すべての方の努力の結晶が、復興なんでしょうかね。
その中でも私はやはり、子どもの笑顔が一番気になる。
笑顔で思いっきり遊んでほしい。
アマリニモつらい状況にいる子は、いないかしら?
等と、とっても気になりますね。
子供たちを支援するためには、親たちを、地域そのものを支援しないといけないね。
みんなが元気になってほしいよね。

Re: No title

> けろちゃん様

こんにちは♡

けろちゃん様は、阪神の震災の時に、随分と辛い思いをしたのですね。
あの震災は本当に、驚いたし、大変そうでした。
渦中にいらしたなんて、どんなにか辛いことだったでしょう。
お疲れ様でした。

避難したことを悔やんだりトラウマに思ったりする必要はないと、私は思いますよ。
避難できる場所やチャンスがあるならば、ごくごく当然の判断だと思います。

極限のパニックの中で、人それぞれ、その人の置かれた状況の中で、必死に最善の判断をしているのですから、その判断を悔やむ必要はないと思うよ。
避難したからこそ見えたもの、出来たこともあるはずですし。
どうぞ、そのようなトラウマから早く卒業できる日が来ますよう、遠くからけろちゃん様の心中を応援していますよ♡

東北の震災の時は、私たち、アッと言うまに陸の孤島になっちゃって、しばらくは津波のことも原発のことも知らなかったんだよ。
知らなかったから頑張れたんだね。

No title

今回の地震のこと考えて記事にしてくださってありがとうございます、

あたくしの住んでいる地域には、建物崩壊等の困りごとはすくないのですが、田舎の地、お店の品物がかなり少なくなっています・・・

あたくの実家が震源地でございますが、
すぐに全国から警察官やらなんやらの方々が応援に来てくださいました。

これも、阪神大震災、東日本大震災の教訓が生かされているんだなあと感じております。

どうしよう・・・と嘆くだけでは前へ進まない。
どがんかせんとつまらん!!
できることから少しずつ!!

くまもんパワーで頑張りますたい!!

Re: No title

> 藍花様

お元気そうで、本当に良かった!!
とは言っても、心の中は、様々な重苦しい思いにが溢れてることと、推察いたします。
ご実家のご様子聞くにつけ、どんなにか、切ない思いでしょう。。。と。

確かに、様々な震災を経験するごとに、社会も進化してるのを感じます。
ボランテイアの態勢も、様々な教訓や反省を活かして、前進してると感じます。
避難所にしたって、私が子供の時に被災したときには、どこにも避難所なんて開設されなかったもの・・・。
その頃と比べると、本当に、社会の成熟というものを実感するね。

皆様がこれ以上辛い思いをしないこと。
子供たちの、そんな日々でも明るく遊ぶ姿。
そんなことを、祈っています。
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プロフィール

こぶりんぼ

Author:こぶりんぼ
4人の男児の母です。
長男次男は大学進学のため、家を離れました。
残るは中学生一人、小学生一人。
B'zを溺愛する母の、日々の徒然です。
よろしくね。

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