私にとっての、3.11

3年前の、3月のことを、少し書いてみたい。
ほとんど、一人言というか、呟きのようなものだけれど。


あの頃。

私は10年以上に及ぶ専業主婦生活に別れを告げて、4月から非常勤講師として勤務するコトになっていた。
勤務先が決まったのは2月のコト。
4月に向けて、勉強しなきゃならないな、仕事用の服も買わないと。
と、不安ながらも張り切っていたのだ。


そして、我が家には、夫と4人の息子の他に。
脳出血により半身マヒとなった実母と、母の病をきっかけに鬱病と認知症を発症した父が住んでいた。


私は、介護。。。
というよりも「わがままな病人との同居」にすっかり疲れていた。
どうしても母を愛することができなくなっていたのだ。
振り回されてばかりで。

何が何でも、両親を、実家に帰したい。
そう思って、ケアマネージャーさんや、リハビリの先生などと連携し、実家をバリフリー工事するなど、準備を進めていたのだ。



実は、それ以外にも大きな頭痛の種があった。

当時、小学6年生だった次男の学年が、荒れていた。
学級崩壊。
暴力。
イジメ。
センセイへの反抗。
センセイの疲弊・病休。

そのような荒れた学年にいて、
「息子もいじめられているのでは!?」
と心配するのが親心だと思う。

私もそうだった。



しかし。
担任の先生から聞いた次男の様子は、予想を裏切るものだった。


いじめたり、先生に暴言を吐いたりする集団に、付和雷同的にくっついて行動しているようだったのだ。

それを知った時の衝撃は、今でも覚えている。


なんとかしなければ。
なんとか。。。。


次男と同じ学年の女子生徒の母親の中には、偶然、高校時代の同級生Rさんがいた。

Rさんと私の間には、高校の同級生なだけあって、普通の「母親仲間」とは違う空気が流れる。
本音が語れるのだ。やはり。


2人で
ヤバいよね、これ。
なんとかしたいね。
と話し。


その後、担任の先生や校長先生とも話し合って、母親のボランティア団体を立ち上げた。
それが震災直前の1月だった。
立ち上げた、とは言っても、行動的で決断力のあるRさんに、私はくっついて歩いただけだけれど。。


とにかく。
学校に親がもっと関わろう、と。
でも。
「監視」じゃ、ダメだ。
先生も生徒も、不愉快だろう。


というコトで、
「お掃除&家庭科実習の補助」を目的としたボランティア。


ちらしを作ったり。
アドレスを取得してメール配信で呼びかけたりで。

結局、学年の母親の半数くらいが参加してくれた。


そしてそれは、結局、母親にとってもとてもいい経験になったと思う。

みんな、心を痛めていた。
いじめられた子の親も、いじめたといわれている子の親も、みな、傷ついて、苦しんでいた。
もちろん、私も。

おしゃべりしながら、学校のあちこちを掃除し、その後はコーヒーを飲み。。。
そんな中で、少しだけでも許し合える空気が生まれたような気がする。


3月11日は、まさに、その活動の最終日だった。
卒業を控えて、子供と先生と、そして私たち母親が、学校中を掃除していた真っ最中に、大地が揺れたのだった。


外の側溝の落ち葉を掃除していた私は、よく覚えている。

長い長い、永遠かと思うほど長い激しい揺れの最中に、それまで薄曇りだった空が暗くなり、揺れの真っ最中から、雪が降り始めた光景。
空も泣いているようだった。

揺れている真っ最中から、
「二度と元の暮らしは帰ってはこない。」
と感じていた。

女子生徒は皆、泣いていた。

男の子達は優しいので、
「お祖母ちゃんが、家で1人でいる。大丈夫か。」
など、口々に心配していた。


私たちは掃除をやめて、子供たちの避難を手伝った。
寒い中、そのまま校庭に出てきた生徒のコートを取りに校舎に戻ったり。
慌てふためいて、靴が脱げてしまった子にはかせたり。
そんな中でもふざけた行動をする6年男子(←次男含む)をたしなめたり。


やがて次々に母親たちが学校へ集まってきたけれど。
母たちは多くが、泣きながら走ってきたのだ。




その後の生活の苦しさは、大変なものだったけれど、我が家だけではなかったから辛くはなかった。

数日後、津波のこと、原発のことを知った私達。
もはや誰ひとり、厳しい現実に不平を言う人はなかったと思う。
ただただ黙々と、水汲みに並び、寒い家で身を寄せ合っていた。


しかし人間は、たくましいもので。
ライフラインの止まったままの町の中で。
私たち母親は、
「卒業式は、いつできるのかしらね。」
「卒業式の前に、水が出なかったら、洗髪できないまま参列!?」
「美容院は無理でも、せめて洗いたいよねぇ~~」
等と、明るく話し合ったものだった。


この子はどうなるのかと心配した次男も、水汲み、その他、本当に家族のために働いてくれた。
一生懸命弟たちの面倒も見てくれたものだった。


次男だけではなく、子供たちは皆、そして夫も、本当に助け合って暮らせた日々だった。
鬱病の父も、食料を求めて近所の店を歩いてくれたり。



介護と、息子の学校の学級崩壊とで、煮詰まっていた私に、生きることを教えてくれた日々だったかな、と思う。





震災後。
介護の日々は終わり、両親は実家に帰った。
もう一度、両親を愛せるようになれた。

次男の学年も、中学では嘘のように落ち着き、皆、部活や勉強に燃えていた。
爽やかな若者である。

夫や息子達が、いざという時にとても優しく思いやり深い人間になるのだと、知った。

私の仕事も、力不足ながらも順調にスタートした。

そして私は改めて、B'zにハマり直し、ステキな思い出もできた。



私自身の課題の全てが、あの震災の前後にクリアされているのだ。
ありがたいコトに。


だからこそ。

多くの傷ついた人々のために。
特に私は、傷を負った子供たちや若者のために。
何かしたい。
何かできる。
しなければならない。

私だけが幸せなどというコトは、許されないコトだと思う。

私にもできるコトは、山のようにある。

3年経ったけれど、まだまだやれていない。
まだ足りない。
どんな努力ならできるのだろう、私に。


3月11日は、自分に問いかけ、自分を奮い立たせる日だ。
死ぬまでの間に、与えてもらった以上の何かを、この、故郷に返したい。


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コメント

こぶりんぼ様の明るいblogからは想像も出来ないくらい、大変な思いをしてこられたのですね…。
3年前の3月11日は、長男の中学校の卒業式でした。
卒業式を終えて夜の謝恩会まで時間があったので、家に居たその時に地震がありました。
千葉に住んでおりますが、かなり揺れました。
卒対委員でしたので、謝恩会のキャンセルをしに行ってから次男のお迎えに行きました。
幸い、お皿が何枚か割れただけで済みましたが、テレビで流れた津波の映像を観て、愕然としました。
あれから3年経ったのですね…。
私は被災者の方に何も出来てません。買い物に行った時、レジ横の募金箱に少しのお金を入れること位しか…。

Re: タイトルなし

> ねむりねこ様
こんな重苦しい記事に、コメント下さって、ARIGATOございます☆
3年前のコト、今の被災地の状況、原発のコト。。。
色々考えているうちに、重く煮詰まった気持ちになってしまいまして。

多くの方が感じるコトだとは思いますが、幸せであることへの罪悪感のような塊が、胸の中にあります。
でも、私自身も、思いは溢れるものの、実際は何にも出来ていないです。。。
残念ながら。
何ができるかを、一緒に探しながら、頑張って生きて行きましょうね!

千葉県というと、液状化が印象的でしたが、大丈夫でしたか?
私の祖母が、亡くなるまでずっと、千葉県に住んでいたんですよ♡
懐かしい場所です♪

またまたコメントしてしまいます(>.<)
液状化は、私の住んでいる所は大丈夫でした。
停電もしませんでした。ガソリンを入れるのに並んだのと、スーパーにパンや納豆、レトルト食品や水が品薄になったくらいです。
こぶりんぼさんも千葉に住んでた事があるのですね!!
因みに、私には兄が二人います。東京オリンピック生まれと丙午生まれです!
確か2番目の兄は、こぶりんぼさんと同い年ですよね(*^^*)
私は…うりぼう生まれです(^^;)
なんか、話が逸れてしまってすみません(__)

ひゃ~o(><;)(;><)o間違えましたo(><;)(;><)o千葉に住んでらしたのは、お祖母さまでしたね(/_;)ちゃんと読んでからコメントするよう気をつけます(>.<)

Re: タイトルなし

> ねむりねこ様
いえいえ~~~。
まっッッたくお気になさらず~~。
私自身、「うっかり」と「すっぽり」で、人生生きてるような人間ですもの~~。
よく読まなくてもいいんですよぉぉ~~~。
楽しいコメント、いつもありがとうです!!

No title

お言葉のひとつひとつが心に沁みました。
大切なご両親のご病気や次男クンの学校生活の悩み・・・
どれ一つとってもどれほどこぶりんぼさまのお心に重くのしかかっていたか
想像に想像を重ねても足らないことでしょう。
そんな中でもこぶりんぼさまの前向きな姿勢と行動力には頭が下がりました!
「何とかせねば」きっと歯を食いしばる苦しさだったことでしょうね。

そしてあの日。

日本中を文字通り震撼させ想像を絶する犠牲(という単語さえ小さく思えるほどの)を
強いられた震災のただなかにいらっしゃったのですね。

非力な慰めの言葉すらわたくしには持てませんが
ただ唯一、未曽有の危機によってもう一度、家族の、地域の、人々の
つながりを強くしたことが、小さくとも大切な希望の灯となったのだと
こぶりんぼさまのお話をお伺いして、改めて強く感じました。

3.11・・・東北や東日本の被害に遭われた方だけではなく
日本すべての人がもう一度、何をすべきか何ができるかを
真摯に問い直す日にしたいです、まずは自分自身から。

Re: No title

> あすも様
ご丁寧なコメント、優しいお言葉、本当にありがとうございます。
こちらこそ、心に沁みました。

私たちは、文中にも書いたとおり、震災によって、何も失いませんでした。
少し大変な思いはしましたが、それは、いい思い出となりえる程度のものだったと思います。

何も失わなかった。。。
そのことは、ありがたいことであると同時に、申し訳ないような、後ろめたいような思いをもたらしてしまうのですよね。
きっと、関西に住むあすもさんでも、同じような思いを抱いてしまう時もあるのではないでしょうか。

身近に、全てを失った方々がいる時に、何も失わなかった者は、どうすればいいのか分からなくなる。。。
分からないけれども、絶対に、するべきコトがある。。。

そんな風に思います。
それが何なのか?
これでいいいのか?

自問する日々ですよね。
私も、あすもさんの姿指針の一つとして、自問しながら優しく生きて行きたいなと思っています。

いつも本当に、ありがとう。、
Secret

プロフィール

こぶりんぼ

Author:こぶりんぼ
毎日毎日、B'zをBGMに4人の男の子を育てています。
育児は好きですが、家事は苦手。

よろしくお願いします☆

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