B'z『夢見が丘』で、ぐちゃぐちゃです~~
2013.08.09(Fri)
ステキな曲だ
。
ステキすぎる…
。
なんだか。
稲葉さんを、ますます愛しく感じてしまうではないか
…。
困るな。
これ以上は
。
そんな困惑を引き起こす名曲、『夢見が丘』。
人の心と、時間、が、テーマだと思う、きっと。
が、なかなか分かりにくい詞なので、色んな捉え方があると思う。
「叶わぬ恋?」
「不倫?」
という見方もできそうだし。
確かにそうかもしれないけれど、まあ、それは、いいとして。
私にとってこの曲のポイントは3つある。
ヒッジョーに、独断と偏見に満ちた、個人的感想で申し訳ないけれど…
。
ポイントの1番目は、何と言っても
「死んでゆく」
の語だ。
死んでゆく…。
その言い方、ストレートすぎるよ
~~、稲葉さ~~ん
。
曲の中で、際立った存在感のあるフレーズだ。
死んでゆく…、ですって。
この一言で、この曲の全てが『死』の色に染まる。
私にとっては、だけど。
いつか必ず死ぬ、という1点において、人間はみんな仲間だよね。
だからこそ、この短い『生』を、じゃあ、どうすんのか、っていうことだよね。
はかない現世、イコール「夢見が丘」だとすれば、生きること、すなわち、夢を見ること??
夢って何? 愛??
ポイント2番目は、
『嗅ぎたい』というフレーズ。
嗅ぎたい…。
嗅ぎたい…
それって、究極の、愛・欲望かな、と思うよ!
だってさ~。
もしも、神様が、
「次のうち一つだけ、お前の願いをかなえてやろう。
①、稲葉さんにさわる
②、稲葉さんと親しく会話する
③、稲葉さんを嗅ぐ
さて、何を選ぶ?」
と言ってくれたら
(妄想)、迷わず③だべさ!!
嗅ぐ!!
嗅ぐ!!!
うわああああ~~~
(妄想炸裂)
まあこのようにですね、『嗅ぐ』、というのは煩悩・欲望・刹那的愛、のカタチですよね。
強く『生』を連想させる言葉だと思う。
いずれは死にゆく人間が、わずかの時間、この『現世』の中で、欲望に振り回されて生きてる様子を思い浮かべるよね。
死ぬ前に、嗅いでみたいよ、私だって
。
さて。
この曲の私的ポイント3つ目は、
『先生』
の存在だ。
「KOI-GOKORO」でも、「希望の歌」でも、『先生』は、呼びかける対象として出てくる。
二人称、つまり、『あなた』としての存在。
「ねえ、先生!?」
って感じの親しさだ。
この曲での先生も、そうだよね。
『僕』と、愛する『君』。
その他の唯一の登場人物が「先生」。
スゴイ存在感だ!!
『優しさって、なんですか?
生きるって、どういうことですか?
愛って、なんですか?
僕のやってるコトは、間違いですか?
愛する人を奪うのは、間違いですか?
先生、先生、教えてよ。
え?
もう、教えてくれてたの? 昔?
覚えてないよ、忘れちゃったよ。
先生、もう一回教えてよ。
先生、聞こえないよ…』
そんな悲痛な叫びかな、と。
以上3つのポイントを踏まえてですね、考察しますと。
愛に翻弄される『僕』が、これでいいのかと自問する。
限りある命を思い、優しさとは何かを考え、本当の気持ちを伝えれば傷つけると知る。
愛すれば愛するほど、自分のエゴイズムに直面し、たじろぐ。
先生に救いを求めたいけれど、先生の声は、もう、届かない。
自分で考えろ、自分で考えろ。
正解は分からないけれど、『僕』は、この現世で、君を『奪いながら』生きていくと、決意する。
そんな曲なんだろうな、と、私は思う。
その一方で、
誰もが死んでゆくの?
B'zのお2人も!?
いや~~~~!
!やめて~~~!
!
嗅ぎたい?
私にも嗅がせて下さ~~い!
!
どんな匂いでもいいんで
。
きゃ~~~!!
先生??
稲葉さんこそが先生です!
優しい瞳に、私はこの世の全てを学びました~~~!!
え~~~ん
!
ARIGATO~~~~
って感じに、私としては、人間性崩壊、的な曲になっちゃってます。

ステキすぎる…

なんだか。
稲葉さんを、ますます愛しく感じてしまうではないか

困るな。
これ以上は

そんな困惑を引き起こす名曲、『夢見が丘』。
人の心と、時間、が、テーマだと思う、きっと。
が、なかなか分かりにくい詞なので、色んな捉え方があると思う。
「叶わぬ恋?」
「不倫?」
という見方もできそうだし。
確かにそうかもしれないけれど、まあ、それは、いいとして。
私にとってこの曲のポイントは3つある。
ヒッジョーに、独断と偏見に満ちた、個人的感想で申し訳ないけれど…

ポイントの1番目は、何と言っても
「死んでゆく」
の語だ。
死んでゆく…。
その言い方、ストレートすぎるよ


曲の中で、際立った存在感のあるフレーズだ。
死んでゆく…、ですって。
この一言で、この曲の全てが『死』の色に染まる。
私にとっては、だけど。
いつか必ず死ぬ、という1点において、人間はみんな仲間だよね。
だからこそ、この短い『生』を、じゃあ、どうすんのか、っていうことだよね。
はかない現世、イコール「夢見が丘」だとすれば、生きること、すなわち、夢を見ること??
夢って何? 愛??
ポイント2番目は、
『嗅ぎたい』というフレーズ。
嗅ぎたい…。
嗅ぎたい…

それって、究極の、愛・欲望かな、と思うよ!
だってさ~。
もしも、神様が、
「次のうち一つだけ、お前の願いをかなえてやろう。
①、稲葉さんにさわる
②、稲葉さんと親しく会話する
③、稲葉さんを嗅ぐ
さて、何を選ぶ?」
と言ってくれたら

嗅ぐ!!
嗅ぐ!!!
うわああああ~~~

まあこのようにですね、『嗅ぐ』、というのは煩悩・欲望・刹那的愛、のカタチですよね。
強く『生』を連想させる言葉だと思う。
いずれは死にゆく人間が、わずかの時間、この『現世』の中で、欲望に振り回されて生きてる様子を思い浮かべるよね。
死ぬ前に、嗅いでみたいよ、私だって

さて。
この曲の私的ポイント3つ目は、
『先生』
の存在だ。
「KOI-GOKORO」でも、「希望の歌」でも、『先生』は、呼びかける対象として出てくる。
二人称、つまり、『あなた』としての存在。
「ねえ、先生!?」
って感じの親しさだ。
この曲での先生も、そうだよね。
『僕』と、愛する『君』。
その他の唯一の登場人物が「先生」。
スゴイ存在感だ!!
『優しさって、なんですか?
生きるって、どういうことですか?
愛って、なんですか?
僕のやってるコトは、間違いですか?
愛する人を奪うのは、間違いですか?
先生、先生、教えてよ。
え?
もう、教えてくれてたの? 昔?
覚えてないよ、忘れちゃったよ。
先生、もう一回教えてよ。
先生、聞こえないよ…』
そんな悲痛な叫びかな、と。
以上3つのポイントを踏まえてですね、考察しますと。
愛に翻弄される『僕』が、これでいいのかと自問する。
限りある命を思い、優しさとは何かを考え、本当の気持ちを伝えれば傷つけると知る。
愛すれば愛するほど、自分のエゴイズムに直面し、たじろぐ。
先生に救いを求めたいけれど、先生の声は、もう、届かない。
自分で考えろ、自分で考えろ。
正解は分からないけれど、『僕』は、この現世で、君を『奪いながら』生きていくと、決意する。
そんな曲なんだろうな、と、私は思う。
その一方で、
誰もが死んでゆくの?
B'zのお2人も!?
いや~~~~!


嗅ぎたい?
私にも嗅がせて下さ~~い!

どんな匂いでもいいんで

きゃ~~~!!
先生??
稲葉さんこそが先生です!
優しい瞳に、私はこの世の全てを学びました~~~!!
え~~~ん

ARIGATO~~~~

って感じに、私としては、人間性崩壊、的な曲になっちゃってます。
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